目黒競馬場はどこにあった?「元競馬場」バス停と日本ダービーの原点
東京・目黒通りをバスで走っていると、「元競馬場」という停留所があります。降りてみても、そこにあるのは、ごく普通の住宅街。マンションやカフェが並び、競馬場らしきものはどこにもありません。
でも、100年ほど前の地図を開くと——住宅街のど真ん中に、くっきりと楕円形のコースが描かれています。これが目黒競馬場です。この記事では、その場所と歴史を、記録と古地図からたどります。
※この記事は土地の歴史を紹介するもので、事件・事故などの心理的瑕疵は扱いません。
目黒競馬場はどこにあった?
目黒競馬場は、1907年(明治40年)に、当時の東京府荏原郡目黒村(現在の目黒区下目黒・中目黒のあたり)に開設されました。1周1マイル、総面積は約64,580坪(およそ21万平方メートル)という大きなものでした(出典: 目黒区、Wikipedia)。
現在の地名でいうと、目黒区の下目黒4〜5丁目付近が中心。目黒駅から歩いていける距離に、これほど大きな競馬場があったのです。
日本ダービーは、ここから始まった
目黒競馬場の名を歴史に刻んでいるのが、日本ダービーの第1回です。
1932年(昭和7年)4月24日、目黒競馬場で第1回「東京優駿大競走」が開催されました。これが、現在の日本ダービーの始まりです。優勝したのはワカタカ。四馬身差の快勝で、当時としては破格の賞金1万円を手にしました(出典: 目黒区、JRA)。
今も、年に一度、何十万人もが熱狂するあのレースの出発点が、渋谷から数キロのこの場所だった——そう思うと、住宅街の見え方が少し変わってきます。
なぜ消えたのか
では、なぜ目黒競馬場は姿を消したのでしょうか。
理由のひとつは、街の発展です。開設当時は畑や村のなかにあった競馬場も、大正から昭和にかけて、周囲に市街地がどんどん迫ってきました。拡張する土地はもうありません。そして1933年(昭和8年)8月、競馬場は事務所を府中へ移し、閉鎖されました(出典: Wikipedia)。これが現在の東京競馬場(府中)につながります。
跡地は区画整理されて住宅街になり、競馬場の姿は地図から消えました。
名を残す「目黒記念」
目黒競馬場の名前は、意外な形で今も生きています。現在もJRAで行われている重賞レース「目黒記念」です。
目黒記念は1932年に創設されました。競馬場の府中への移転が決まったとき、その名を後世に伝えるために名づけられたレースで、名前は目黒競馬場に由来しています(出典: JRA、Wikipedia)。競馬場は消えても、レースの名前として、目黒の記憶は受け継がれているのです。
今も残る痕跡
跡地を歩くと、痕跡はちゃんと残っています。「元競馬場」の交差点名やバス停はその一つ。そして地図を重ねながら歩くと、かつてのコースのカーブをなぞるように、ゆるやかに曲がる道路が住宅街の中に見つかります。まっすぐでない道には、たいてい理由があるのです。
あなたの街にも、地図に残る過去がある
目黒競馬場のように劇的でなくても、どんな土地にも「昔の姿」があります。「近所のあの道、なんで不自然に曲がっているんだろう」——その答えは、たいてい昔の地図に描いてあります。
「じもとカルテ」は、住所を入れるだけで、明治期からの古地図と、公的機関が公開する地形・地盤・災害リスクの情報を、根拠の地図とあわせて1枚にまとめてご覧いただけます。あなたの土地の「昔」を、地図で見てみませんか。