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土地の物語

西新宿の高層ビル街は「水の場所」だった — 淀橋浄水場と十二社の池

更新日: 2026-07-27

東京都庁と超高層ビルが並ぶ西新宿。日本でもっとも都会的な風景の一つですが、この一帯は50年ほど前まで、まったく別の顔をしていました。巨大な浄水場と、江戸の景勝地として知られた池。どちらも「水」に関わる場所です。

この記事では、西新宿の二つの水辺の記録をたどり、その痕跡が今の街にどう残っているかを整理します。

※この記事は土地の歴史を紹介するもので、事件・事故などの心理的瑕疵は扱いません。

西新宿二丁目:東京の水をつくっていた場所

現在の西新宿二丁目——都庁や新宿中央公園のあたりには、かつて淀橋浄水場がありました。旧地名は「角筈(つのはず)三丁目」です(出典: Wikipedia)。

通水したのは1898年(明治31年)12月1日。近代水道として東京の給水を担い、敷地面積は341,743.88平方メートル(約34ヘクタール、103,558.75坪)に及びました。東京ドーム7個分を超える広さが、新宿駅のすぐ西側を占めていたことになります(出典: Wikipedia)。

浄水場が廃止されたのは1965年(昭和40年)3月31日。機能は東村山浄水場へ引き継がれました。その跡地に立ち上がったのが新宿副都心計画で、1971年の京王プラザホテルを皮切りに、住友ビル、三井ビル、そして東京都庁舎と、超高層ビルが次々に建っていきます。新宿中央公園も、この跡地の一部です(出典: Wikipedia)。

ビル街の「高低差」に残る、沈殿池の形

西新宿を歩くと、道路とビルの足元の間に妙な段差があったり、緩やかに下っていく場所があったりします。これは坂の街だからというより、浄水場の池の形がそのまま残っているためとされています。

沈殿池やろ過池だった窪みに盛り土をせず、そのまま再開発したことで、新都心一帯には高低差が生じている——と記録されています(出典: Wikipedia)。地下に潜っていくような入口や、隣の街区との間の段差は、かつてそこが水を溜める池だった名残という見方ができます。

西新宿四丁目:江戸の行楽地だった「十二社の池」

もう一つの水辺は、少し南西の西新宿四丁目にありました。十二社(じゅうにそう)の池です。

十二社熊野神社の記録によれば、大小二つの池が開発されたのは1606年(慶長11年)。伊丹播磨守によるもので、水源は湧水でした。大池は南北126間・東西8〜26間(1間を約1.8mとすると、南北およそ230m、東西15〜47mほど)、小池は南北50間・東西7〜16間と伝えられています(出典: 新宿十二社熊野神社)。

享保年間(1716〜1735年)ごろから池のまわりに茶屋が増え、やがて料亭およそ100軒、芸妓およそ300名を擁する花柳界へと発展しました。芝居や浮世絵にも描かれ、将軍が鷹狩りの際に立ち寄ったとも伝えられる、江戸西郊の景勝地です(出典: 新宿十二社熊野神社、新宿観光振興協会)。

高さ約9メートルの滝があった

池と並んでこの地を有名にしたのが、十二社の大滝です。

1667年(寛文7年)、神田上水の水量を補うため、玉川上水から神田上水へ向けて「神田上水助水堀」が造られました。この水路が熊野神社の東端で落下する場所にできたのが大滝で、高さ三丈・幅一丈——およそ高さ9メートル、幅3メートルと伝えられています。江戸期の文献には「熊野の滝」「萩の滝」として記されています(出典: 新宿十二社熊野神社)。

この滝は明治以降、淀橋浄水場の工事などによって埋め立てられ、姿を消しました(出典: 新宿十二社熊野神社)。二つの水辺は、無関係に消えたわけではなかったことになります。

池が消えたのは、意外に最近のこと

小池は戦時中に完全に埋め立てられました。そして大池が埋め立てられたのは、1968年(昭和43年)7月です。新宿副都心計画に伴うもので、浄水場の廃止からわずか3年後でした(出典: 新宿十二社熊野神社、Wikipedia)。

昭和30年代までは、池のまわりに料亭が並ぶ賑わいが残っていたとされます(出典: 新宿観光振興協会)。つまり、新宿駅から歩ける距離に、池と料亭街が実在していた時代を記憶している人が今も存命ということです。地図の上では遠い昔に見えても、土地の変化は思ったより最近に起きていることがあります。

現在、池があった一帯は住宅とマンションが建ち並ぶ市街地ですが、その場所は周囲より低い窪地状として残っているとされます(出典: Wikipedia)。建物は変わっても、地面の高低は簡単には変わりません。

「水の跡」は、土地を見るときの手がかりになる

池、沼、川筋、そして人の手で造られた貯水施設。こうした水に関わる土地の履歴は、地歴を調べるときに確認される項目の一つです。埋め立てられた土地では、地盤の性質が周囲と異なる場合があることが知られており、公的機関が公開している地形分類図やハザードマップでも、旧水部や埋立地は区別して整理されています。

ただし、「昔ここが池だった」ことが直ちに現在の建物のリスクを意味するわけではありません。実際の地盤は、埋め立てからの年数、埋立材の種類、その後の地盤改良、建物の基礎の工法など、複数の要素で決まります。土地の履歴は、判断の材料の一つとして確認しておく情報——という位置づけで扱われることが多いようです。

西新宿のように、都心の一等地であっても水の跡地であることは珍しくありません。だからこそ、その場所がどういう来歴をたどってきたかを知っておくことに、意味があるのだと筆者は捉えています。

よくある質問

Q. 淀橋浄水場はどこにあったのですか 現在の東京都新宿区西新宿二丁目(旧・角筈三丁目)一帯です。都庁や新宿中央公園を含む約34ヘクタールの敷地で、1898年(明治31年)12月1日に通水し、1965年(昭和40年)3月31日に廃止されました。跡地は新宿副都心として再開発されています。

Q. 西新宿のビル街に高低差があるのはなぜですか 浄水場の沈殿池やろ過池だった窪地に盛り土をせず、そのまま再開発したためとされています。道路と建物の足元の段差や、街区ごとの高低の違いに、かつての池の形が残っているという見方ができます。

Q. 十二社の池はいつまであったのですか 小池は戦時中に、大池は1968年(昭和43年)7月に埋め立てられました。1606年(慶長11年)の開発から360年あまり存在したことになります。現在の西新宿四丁目にあたり、池のあった場所は周囲より低い窪地状として残っているとされます。

あなたの街にも、地図に残る過去がある

西新宿ほど劇的でなくても、どんな土地にも「昔の姿」があります。「この道だけ妙に低い」「公園の形が不自然に丸い」——その答えは、たいてい昔の地図に描いてあります。

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